記事の内容
<写真は毎日新聞より引用>
「ドカベン」「あぶさん」「野球狂の詩」などの野球漫画で知られる漫画家の水島新司さんが今月10日に東京都内の病院で死去していたことがわかりました。82歳でした。
40代以上の男性であれば、「ドカベン」を読んだことがきっかけで野球を始めた方も多いことでしょう。30代以下の方であれば、プロ入り後のドカベン世代に親しんだ方も多いかもしれません。野球のルールや奥深さ、そして何よりも面白さ楽しさを学ぶことのできる物語でした。
「明訓四天王」と言われる、主人公で4番打者「気は優しくて力持ち」を体現するドカベン(山田太郎)、「悪球打ち」が代名詞で山田をも凌ぐパワーを持ち、ハッパをくわえた岩鬼正美、音楽の天才で、他の人間には真似のできない「秘打」を使いこなす殿馬一人、アンダースローから七色の変化球を繰り出す通称「小さな巨人」のエース里中智はもとより、ライバルキャラの白新高校の不知火守、クリーンハイスクールの影丸隼人、横浜学院の土門剛介、土佐丸高校、室戸学習塾の犬飼三兄弟などの人物背景も丁寧に描写されていたため、どのキャラクターにも感情移入でき楽しむことができました。
「ドカベン」(1972年~1981年)、「大甲子園」(1983年~1987年)、「プロ野球編」(1995年~2004年)、「スーパースターズ編」(2004年~2012年)、「ドリームトーナメント編」(2012年~2018年)と足掛け46年のドカベンシリーズを語るうえで欠かせないのが、過去の名場面や架空の設定が、未来の現実世界でまるで予言書のように再現されていることです。
今回のコラムでは筆者の独断により、現実世界で再現されたプレーをランキング形式でご紹介します。
(学年は高校時代の山田太郎、敬称略、所属は当時)
7位「球種サイン伝達」PL学園(大阪代表)
3年夏の甲子園2回戦の青森県代表りんご園農業高校戦。
りんご園農業主砲の星王光は親指と人差し指で作った小さな穴から見ることで視力を高め、里中の握りから球種を見破るとりんごの品種に置き換えて(ストレート=紅玉、カーブ=王鈴、フォーク=旭)味方打者に大声で伝え、本来の実力以上にチーム打撃力を向上させていました(「大甲子園」10巻)。
この「サイン伝達」が現実となったのは、1998年の夏の甲子園、PL学園対横浜高校(神奈川県代表)です。
PL学園の平石洋介三塁ベースコーチが横浜先発の松坂大輔投手の球種を小山良男捕手の構えから読み取り打者に伝えていました。
6位「両投げ」近田豊年(南海ホークス)
群馬県赤城山高校の遊撃手兼投手の「わびすけ」こと木下次郎は、
山田・岩鬼・殿馬と同じ鷹丘中学卒業で、当時は柔道部の主将。
猛特訓を重ねて「両投げ」をマスターすると、1年生秋の関東大会で、投球モーションに入ってもどちらの腕で投げるかわからないという変則投球フォームを駆使し、山田を苦しめました(「ドカベン」26巻)。
この「両投げ」が現実となったのは、1987年オフにドラフト外で南海ホークスに入団した近田豊年投手です。入団テストで左右投げを披露し話題となりました。左腕での投球はオーバースローで、右腕での投球はアンダースローでした。
5位「ルールブックの盲点」済々黌高校(熊本県代表)
2年生夏の甲子園神奈川大会3回戦の白新高校戦。両チーム無得点の10回表1アウト満塁のチャンスを迎えた明訓高校は5番微笑三太郎のスクイズバントの小フライを不知火がダイビングキャッチ。一塁走者の山田が飛び出していたため一塁に送球しダブルプレーで得点は認められないものと思われました。ところが、山田がアウトになる前に三塁走者の岩鬼がホームインしていたにもかかわらず、三塁に送球し岩鬼をアウトにする「第3アウトの置き換え」をしなかったため、明訓に1点が認められました(「ドカベン」35巻)。
この「ルールブックの盲点」が現実となったのは、2012年の夏の甲子園、済々黌高校対鳴門高校(徳島県代表)戦です。済々黌が1アウト1塁3塁からショートライナーを放った際、ショートがライナーを捕球後、ボールを1塁に送球。1塁ランナーがアウトになる前に3塁ランナーがホームを踏み、アピールがなかったため得点が認めらました。
4位「ノーヒットノーラン」渡辺久信(西武ライオンズ)
西武ライオンズの渡辺久信は、主人公の山田とバッテリーを組んで福岡ダイエーホークス戦で完全試合を達成(「プロ野球編」8巻)。
この「ノーヒットノーラン」が現実となったのは、1996年6月11日のオリックスブルーウェーブ戦。パリーグ右投手では20世紀最後のノーヒットノーランとなりました。
3位「敬遠球をヒット」新庄剛志(阪神タイガース)
1年生秋の神奈川県大会決勝の横浜学院の土門は、里中の敬遠球をはじき返し二塁打を放ちました(「ドカベン」22巻)。
この「敬遠球をヒット」が現実となったのは、1999年6月12日の阪神タイガース対読売ジャイアンツ戦。同点の延長12回1アウト1、3塁から阪神の新庄剛志が敬遠球を打ち三遊間を破るサヨナラ打。
新庄が師匠として慕っていた当時の柏原純一打撃コーチも現役時代に敬遠球を打ち、左中間スタンドにホームランを放ったことがあり、「あぶさん」のモデルの一人とも言われています。
2位「5打席連続敬遠」松井秀喜(星稜高校)
2年生春のセンバツ準々決勝の江川学院先発の中二三男は、山田との勝負を徹底的に避け、3打席連続敬遠。4打席目となった8回には1点リードの満塁の場面でも敬遠し同点に追いつかれてしまいました。山田は延長戦に入った10回にも歩かされ5打席連続敬遠となりました。明訓高校は殿馬の活躍でサヨナラ勝ちしました(「ドカベン」28巻)。
この「5打席連続敬遠」が現実となったのは、1992年夏の明徳義塾高校(高知県代表)対星稜高校(石川県代表)です。「ゴジラ」の愛称で対戦相手から恐れられていた星稜松井秀喜選手に対し、明徳義塾が5打席すべてで勝負を避け敬遠しました。結果的にこの作戦が成功し星稜が敗れてしまったため、ニュースなどでも大きく取り上げられ日本中に議論を巻き起こすことになりました。
1位「高校生が160キロ」大谷翔平(花巻東高校)、佐々木朗希(大船渡高校)
3年夏の甲子園準決勝(再試合)の千葉県代表青田高校戦。青田高校の中西球道が山田に対して163キロを投げ込むと(「大甲子園」23巻)、決勝戦の京都代表紫義塾高校の壬生狂四郎も同じく山田に対して160キロを記録しました(「大甲子園」26巻)。
連載当時、高校生投手が160キロを投げるなど「ありえない」と思われていました。
この「高校生が160キロ」が現実となったのは、2012年夏の甲子園岩手大会準決勝です。花巻東高校の大谷翔平投手が一関学院戦で160キロを記録しました。また、2019年4月に奈良県内で行われた高校日本代表候補による紅白戦では、岩手県大船渡高校の佐々木朗希投手が163キロを記録しました。
連載当時には「現実にはありえない」と思われていたことが次々と現実になっていることに驚かされます。
マンガに時代が追いつき、次はどんな「ありえない」プレーが現実になるのかを楽しみに待ちたいと思います。
謹んで水島新司さんのご冥福をお祈りします。
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