武藤敬司とは
「プロレスはゴールのないマラソン」。
そう表現していたプロレス界のスーパースター武藤敬司が現役引退を表明しました。
1984年に新日本プロレスに入門すると蝶野正洋、故・橋本真也と「闘魂三銃士」として90年代以降のプロレス界を牽引しました。
しなやかさと野性味を併せ持ち、ムーンサルトプレス、足4の字固め、シャイニング・ウィザードといったフィニッシュ・ホールドはどれも華やかで魅力的です。
代名詞のムーンサルトプレスのマネは無理だとしても、フラッシング・エルボーを布団や体育館のマットに炸裂させた経験があるのは筆者だけではないでしょう。
武藤敬司を語る上で欠かせないのは、1995年10月9日東京ドームでの「激突!!新日本プロレス対UWFインターナショナル全面戦争」のメインイベントでの高田延彦戦です。
前日、読売ジャイアンツのスター選手原辰徳が現役最後の382号ホームランを放ち、引退セレモニーで「私の夢には続きがあります」と語った熱気冷めやらぬ同球場にて行われたこの試合。
両日ともに足を運び、引退直前のベテランの最後の意地と、時代を代表するトップレスラー同士の対決という対照的な輝きを堪能したことが昨日のように思い出されます。
二刀流のさきがけ
「投手」と「打者」の大谷翔平や、「スノボー」と「スケボー」の平野歩夢といった日本人スポーツ選手に先駆けて、武藤敬司は「正義」と「悪」の「二刀流」としても有名です。
顔に毒々しくペイントを施した悪の化身「グレート・ムタ」は、武藤の第二の人格とされ、魔界の住人という設定で対戦相手を流血と毒霧地獄に追い込む凄惨な試合を展開しました。
「毒霧」とは、口から赤や緑の液体を対戦相手の顔面に噴射して視界を遮る反則技です。
風呂場や、部活終わりのグラウンドで毒霧の練習をした経験があるのは筆者だけではないでしょう。
武藤自身はムタになっている時はその時の記憶を一切覚えていないとされ、代理人として記者会見などでムタの代わりにコメントをすることもありました。古坂大魔王が「ピコ太郎」をプロデュースしていたことに例えるとわかりやすいでしょうか。
「差し上げましょう!地獄からのお年玉!今年も新春(はる)から、ザ・グレート・ムタ見参!」のように、田中ケロリングアナウンサーによるリングイン時の紹介が「入場」ではなく「見参」であることも大きな特徴です。
武藤敬司の「HOLD OUT」を和楽器でアレンジしたムタの入場テーマ曲「MUTA」は、橋本真也の「爆勝宣言」、中邑真輔の「The Rising Sun」とともに個人的な入場テーマ名曲3選です。
このグレート・ムタの誕生は、「製品」と「市場」の2軸に「新規」と「既存」という基準を重ね合わせたアンゾフの成長マトリクス(※1)において、既存市場に新商品を投入していく「新製品開発戦略」にあたります。
稀代の天才レスラーとして、個性派ぞろいの新日本プロレスにおいても、ずば抜けて華のあるベビーフェイス(善玉)の武藤敬司に対し、フェイスペイントをして悪の限りを尽くすヒール(悪玉)グレート・ムタとのギャップがたまりませんでした。
90年代、プロレス団体の乱立によって市場が飽和状態になり、いかにして競合と差別化することができるか、いかにして競争優位性を築き、市場でのポジションを確立していくかが重要であった中、グレート・ムタの誕生は自らの競争優位性を高めることになりました。
競争優位性とは、競合他社(者)や新規参入社(者)よりも有利な状況になる性質を意味します。持続的な競争優位の要件として模倣困難であることが挙げられます。
武藤の身体能力や技の華やかさはそのままに残虐なファイトを繰り広げるグレート・ムタは、大仁田厚扮する「グレート・ニタ」、小島聡扮する「愚零斗孤士(グレートコジ)の追随を許しませんでした。
プロレス団体の定義が、従来の「興行」を主とする物理的定義(※2)から、コンテンツを多角的にエンターテインメントとして提供する機能的定義(※3)へ向けて、そこで見られる闘いが、かつてのアントニオ猪木や長州力の時代にあった遺恨や確執をテーマにしたものではなく、明るくて華やかな格闘エンターテインメントに様変わりしていく過程で、武藤、ムタともにまばゆいばかりの輝きを見せてきました。
引退試合
ゆかりのある他団体レスラーも集結し。オールスター形式で開催される引退試合の相手はいったい誰になるのでしょうか。
天龍源一郎の引退試合の相手でもあり、先日G1クライマックスを制したオカダカズチカになるのか、武藤の元付き人の棚橋弘至になるのか、98年の長州力の引退試合のように「5人掛け」になるのか、それとも、現所属のプロレスリング・ノア所属の選手になるのでしょうか。
来年2月21日にゴールを設定したマラソンを、どんな形でテープを切ってくれるのでしょうか。その瞬間をしっかりと目に焼きつけたいと思います。(敬称略)
(中小企業診断士:平野邦久)
顧客管理とスケジュール管理の「二刀流」ネクスタ・メイシプラス!
(※1)
新日本プロレスの最近の経営戦略をアンゾフの成長マトリックスを用いて説明します。
アンゾフの成長マトリックスとは、イゴール・アンゾフ(1918-2002)氏によって提唱された、事業の成長・拡大を図る際に用いられるマトリックスのことです。事業の成長を「製品」と「市場」の2軸におき、その2軸をさらに「既存」と「新規」に分けて表し、企業の成長戦略をシンプルに表現したものです。
アンゾフの成長マトリックス
市場浸透戦略
既存市場に既存製品を投入していく戦略です。
広告宣伝や価格などのマーケティングの要素を有効に活用することによって、市場でのシェアを拡大し、経営目標の達成を目指す戦略です。
大胆な広告戦略による認知度向上や、所属選手の積極的なSNS発信がこれにあたります。
新製品開発戦略
既存市場に新製品を投入していく戦略です。
新しい機能を付け加え、いままでとは異なる品質の製品を創造する、大きさや色などの面で新しい特徴をもった追加機種を開発する、などの方法があります。
他団体のリングを主戦場としていたKENTAや鷹木信吾などが新たな戦いの場所として新日本プロレスのリングを選んだり、海外武者修行に出ていた髙橋ヒロムやマスター・ワトなどが凱旋帰国したりと、新日本プロレスのリング(既存市場)に前述のレスラー達(新製品)を投入することで観るものを飽きさせないよう工夫されているのです。
新市場開拓戦略
新規市場に既存製品を投入していく戦略です。
既存の製品を、従来未開拓であった市場(新しい顧客層、新しい地域など)に展開することにより、売上を向上させ、企業の目標達成を目指す戦略です。
真壁刀義や棚橋弘至といった人気選手のバラエティー番組などへの出演や動画配信による「プ女子」や「海外のファン」獲得がこれにあたります。また、「MSG」開催など海外進出にも成功しました。
多角化戦略
新規市場に新製品を投入していく戦略です。
すみやかに撤退することも1つの戦略です。特に、コア事業への資源集中、事業の再構築を迫られている際には、撤退は非常に重要な戦略として位置づけられています。
総合格闘技にリング(新規市場)にプロレスラーを総合格闘家(新製品)として投入したこともありましたが、自らのブランド毀損に当たることから撤退を選択しました。
(※2)物理的定義
「モノ」を中心にドメインを発想します。「プロレス団体が自社の事業領域を『各地でのプロレス興行』と定義する」といったことです。
物理的定義のデメリットとして、事業活動の展開範囲が狭くなり、現在の事業領域を超える発想が出にくいという点が挙げられます。
(※3)機能的定義
物理的定義が「モノ」を中心に発想したのに対し、機能的定義は「コト」「顧客のニーズ」を中心に発想することを意味します。「プロレス団体が自社の事業を『エンターテインメント』と定義する」といったことです。
機能的定義のメリットは、事業における将来の発展可能性を感じさせるという点です。しかしその一方で、ドメインが抽象的になりすぎるとターゲットとなる顧客や事業(製品)の性格が不明確になりやすいというリスクもあります。