今季限りでの現役引退を表明している埼玉西武ライオンズの松坂大輔投手。日米通算170勝をマークし、記録にも記憶にも残る「平成の怪物」です。
今回のコラムでは、細かすぎて伝わらないエピソード(必ずしも松坂投手と関係があるとは限りません)とともに松坂大輔投手の足跡を振り返ります(以下敬称略)。
横浜高校時代
松坂は、高校2年生時の1997年夏の神奈川大会準決勝の横浜商業戦において自身の暴投によるサヨナラ負けを喫しました。
① ちなみに、さかのぼること15年、1982年4月3日の大洋対阪神戦では阪神小林繁投手が敬遠球をサヨナラ暴投しており、野球ファンの間では横浜スタジアム二大サヨナラ暴投として記憶されています。
松坂は1998年第70回選抜高等学校野球大会で優勝すると、第80回全国高等学校野球選手権大会では、準々決勝でPL学園に延長17回の末に勝利を収め、決勝戦ではノーヒットノーランを達成し、見事春夏連覇を果たしました。
② ちなみに、後のドキュメント番組でPL学園の平石三塁ベースコーチが松坂の球種を小山良男捕手の構えから読み取り打者に伝えていたと報じられると、「サイン盗み(何らかの手段で打者に球種を知らせること)」に厳しい近年では考えられないことですが、当時は草野球でもバッテリー間のサインを読み取り打者に伝える行為が流行しました。
西武ライオンズ時代
1998年のドラフト会議で交渉権を獲得した西武ライオンズに入団すると、翌1999年のキャンプでは多くのファンが詰めかけた影響で投球練習場から球場までの移動すら困難となり、球団は体格の似た谷中投手に松坂の格好をさせ「影武者」として猛ダッシュさせます。ファンと報道陣がこの影武者の後を追ったことで松坂は見事に脱出に成功しました。
③ ちなみに、フリー百科事典「ウィキペディア」によると、影武者とは、権力者や武将などが敵を欺いたり味方を掌握したりするため自分とよく似た風貌や服装の人物を身代わりとさせることを言い、「替え玉」とも言ったりするそうです。
よって、「影武者」と「替え玉」は似たような意味かと思いきや、検索エンジンで「松坂 影武者」「松坂 替え玉」と調べると全く異なる結果が表示されます。
1999年4月7日、東京ドームでの日本ハムファイターズ戦でプロ初先発すると、先頭打者の井出竜也選手を三振に仕留めます。
④ ちなみに、その後井出選手が移籍した読売ジャイアンツの応援団は、名字が2文字の選手を応援する際に、ファンに全く浸透していない場合でもかたくなに下の名前で呼ぶため、ジャイアンツ時代、応援団には「たつや」と呼ばれていました。他には「原辰徳(たつのり)」「仁志敏久(としひさ)」「谷佳知(よしとも)」「阿部慎之助(しんのすけ)「丸佳浩(よしひろ)」が有名です。
2番打者で出場し、8回裏に松坂からセンターバックスクリーンにツーランホームランを放った小笠原道大選手は、千葉県の暁星国際高校出身で、後にヤクルトスワローズに入団する北川哲也投手とともに背番号2の二塁手として千葉県大会の決勝戦まで駒を進めましたが惜しくも敗れ甲子園出場の夢は叶いませんでした。
⑤ ちなみに、暁星国際高校野球部の3学年先輩には長嶋茂雄さんの次男正興(まさおき)(長嶋一茂の弟)が在籍しており、当時野球部監督だった石川一郎氏によれば「もちろん、4番サード!」でした。
この試合は西武が5-2で勝利し、8回2失点の松坂は見事初登板初勝利を飾りました。
⑥ ちなみに、この試合9回表に代打でセカンドゴロに倒れ最後の打者となった秦真司は、引退後の一時期、タレントの井手らっきょが監督を務める草野球チーム「ウィルス」に所属していました。背番号はヤクルト在籍時代と同じ「26」でした。また、井手らっきょが日本テレビ「マネーの虎」(起業家が事業計画をプレゼンテーションし、投資家たる審査員(社長)が出資の可否を決定する内容)に出演し、元プロ野球選手による野球塾開校を希望した際には、井手と共に交渉にあたった秦がその場で実際に素振りを披露し、「下手な説明よりプロの素振りを見た方がよほど説得力がある」と社長達を味方につけることに成功し、2,270万円という番組史上最高額のマネー成立を勝ち取りました。
メジャーリーグ移籍以降
故障により離脱することもありましたが、毎シーズンコンスタントに15勝ほどをあげ、2006年の第1回WBCでは最優秀選手となり日本の優勝に貢献すると、2007年からは活躍の場をメジャーリーグに移しました。メジャー1年目から15勝を挙げる活躍でボストン・レッドソックスのワールドシリーズ制覇に貢献しました。2008年には3月25日に東京ドームで行われたオークランド・アスレチックスとの日本開幕戦に登板しました。
⑦ ちなみに、この試合でアスレチックスのマスクを被ったカート・スズキは、今シーズンからロサンゼルス・エンゼルスに所属しており、4月26日には大谷翔平とバッテリーを組み、大谷の今シーズン初勝利に貢献しました。
2008年シーズンはリーグ4位の18勝を挙げ、チームの2年連続のポストシーズン進出に貢献しました。
2009年の第2回WBCでも最優秀選手となり、日本は大会二連覇を果たしましたが、このシーズンを境に松坂は故障が増え、トミー・ジョン手術(肘の靭帯断裂に対する手術)から復帰した2012年以降は球速が落ち、速球で打者を抑え込むスタイルから、緩急をつけて打たせて取る投球スタイルになりました。
⑧ ちなみに、靭帯損傷の最大の原因は投球フォームと言われており、投球時に両腕の肘が両肩よりも上になる逆W字型の投球フォームが肘へ悪影響を与えると言われる反面、グレッグ・マダックスの様に利き腕と反対側の肘が肩よりも上にならない投球フォームが理想と言われています。マダックスはメジャー通算355勝を挙げた名投手で、その抜群の制球力から「精密機械」と称されていました。制球が良く球数が少なかったため、100球未満で達成された完封勝利は「マダックス」と呼ばれています。ニューヨーク・ヤンキース時代の田中将大投手が2017年に達成し、優勝争い佳境の今年10月2日に阪神タイガースの高橋遥人も達成しています。
2014年12月に福岡ソフトバンクホークスに入団し、中日ドラゴンズ、埼玉西武ライオンズへと移籍しますが、日本球界復帰後の成績はみなさんご存知の通りです。
キャリア晩年は故障に苦しんだ松坂ですが、「平成の怪物」が彩ってきたキャリアは色あせることはありません。
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