「G1 CLIMAX30」開幕直前
新日本プロレス「G1 CLIMAX30」の開幕が近づいてきました。
夏の風物詩として「高校野球」「夏フェス」と並び称される「G1 CLIMAX」ですが、今年は東京オリンピック(新型コロナウイルス禍で延期)を考慮し、史上初めて秋に開催されることになりました。
いまや「G1 CLIMAX」は日本マット界のみならず、世界中どこを探しても見当たらないほどのスケールと過酷さを誇る最強レスラー決定リーグ戦です。
また、新日本プロレスが毎年1月4日に東京ドームで主催する「1.4(イッテンヨン)東京ドーム大会」は、日本プロレス界最大規模の興行であり、正月のスポーツイベントとして「箱根駅伝」、「高校サッカー・ラグビー」同様の注目を集めています。
今年は「1.4」だけでなく、翌「1.5(イッテンゴ)」も開催された史上初の東京ドーム2連戦。オカダ・カズチカ、棚橋弘至、内藤哲也、飯伏幸太などの人気選手が熱戦を繰り広げたほか、「世界の獣神」獣神サンダー・ライガーの引退試合も行われ2日間で7万人を超える観客を集めました。
「冬の時代」
そんな新日本プロレスが、2000年初頭には「冬の時代」と呼ばれる暗黒期を迎えていたのをご存知でしょうか。
当時、PRIDEやK-1などの格闘技が盛り上がりを見せる中、それらのリングに上がったプロレスラーたちがことごとく惨敗。
それにより、高度成長期の日本人の心を熱くして以来、力道山、ジャイアント馬場、アントニオ猪木、タイガーマスクら数々のリング上のヒーローを生み出してきたプロレスの最強神話は崩れ、総合格闘技の台頭や選手の大量離脱、テレビ中継の撤退や専門誌の廃刊もあって人気低迷期を迎えることになったのです。
1998年にピークの40億円近くに達していた売上高は、2012年1月期には11億円程度まで落ち込んでしまいました。
ところが、ブシロードが2012年新日本プロレスを買収して子会社とすると、ピークの1/4程度まで落ち込んでいた売上高は見事に息を吹き返し、2017年7月期に49億円、2018年7月期には54億円と過去最高を記録し、他団体の追随を許していません(競争地位の4類型※1)。
なぜ、新日本プロレスはカウント2.9からの大逆転を果たしV字回復することができたのでしょうか。
新日本プロレスのV字回復の軌跡をその経営戦略とともに振り返ってみたいと思います。
V字回復の軌跡
カードゲームやコンテンツ制作を手掛けるブシロードは、創業者の木谷高明氏がプロレスファンだったこともあり、新日本プロレスを買収して子会社とすると新たなファンの獲得を目指しました。
従来の10倍の広告費を投入し、JR山手線の全車両を選手の写真でラッピングするような大胆な広告戦略を展開したほか、人気選手をテレビのバラエティー番組などに積極的に出演させるなど所属選手のメディア露出を増やしました。
新日本プロレスの施策はこれだけにとどまらず、選手のキャラクターのアピールが人気獲得に不可欠として、全ての所属選手にツイッターアカウントを取得させるなどSNS発信も強化しました。
我々ビジネスパーソンにとって、プレゼンが自分の考えや提案を上司や組織に理解してもらうための必須スキルであるのと同様に、プロレスラーにとって、いまやSNS発信やリング上でのマイクパフォーマンスは自己表現のために欠かすことができません。併せて、動画配信などの積極的なネット活用を行いました。
かつての「金曜夜8時」のようなゴールデンタイムのテレビ放映はなくなりましたが、2014年からテレビ朝日と組んで始めた動画配信がこれを補っており、スマホでも視聴可能な有料配信(月額999円)の会員は現在10万人超。英語サービスも展開しており、利用者の約半分は海外のファンだそうです。
また、2017年7月から本格的にアメリカで大会を開催してきた新日本プロレスは、2019年4月にはアメリカでもっとも有名なアリーナであるニューヨークの「マディソン・スクエア・ガーデン(MSG)」で興行を行いました。
新日本プロレスの海外での目覚ましい成功は、これらのメディア戦略が功を奏したものでしょう。
こうした数々の施策に伴い、観客動員数は回復しました。なかでも大きく増えたのは「プ女子(プロレス好き女子)」と呼ばれる女性ファンたちです。
「カープ女子」「スー女(相撲好き女子)」と並ぶ新たなファン層の開拓に成功し、かつては成人男性がファンの9割以上を占めていたプロレス会場は、現在では4割が女性、1割が子供になりました。
新日本プロレスのこれらの経営戦略をアンゾフの成長マトリックスを用いて説明します。
アンゾフの成長マトリックスとは、イゴール・アンゾフ(1918-2002)氏によって提唱された、事業の成長・拡大を図る際に用いられるマトリックスのことです。事業の成長を「製品」と「市場」の2軸におき、その2軸をさらに「既存」と「新規」に分けて表し、企業の成長戦略をシンプルに表現したものです。
アマゾフの成長マトリックス
1.市場浸透戦略
既存市場に既存製品を投入していく戦略です。
広告宣伝や価格などのマーケティングの要素を有効に活用することによって、市場でのシェアを拡大し、経営目標の達成を目指す戦略です。
大胆な広告戦略による認知度向上や、所属選手の積極的なSNS発信がこれにあたります。
2.新製品開発戦略
既存市場に新製品を投入していく戦略です。
新しい機能を付け加え、いままでとは異なる品質の製品を創造する、大きさや色などの面で新しい特徴をもった追加機種を開発する、などの方法があります。
他団体のリングを主戦場としていたKENTAや鷹木信吾などが新たな戦いの場所として新日本プロレスのリングを選んだり、海外武者修行に出ていた髙橋ヒロムやマスター・ワトなどが凱旋帰国したりと、新日本プロレスのリング(既存市場)に前述のレスラー達(新製品)を投入することで観るものを飽きさせないよう工夫されているのです。
3.新市場開拓戦略
新規市場に既存製品を投入していく戦略です。
既存の製品を、従来未開拓であった市場(新しい顧客層、新しい地域など)に展開することにより、売上を向上させ、企業の目標達成を目指す戦略です。
真壁刀義や棚橋弘至といった人気選手のバラエティー番組などへの出演や動画配信による「プ女子」や「海外のファン」獲得がこれにあたります。また、「MSG」開催など海外進出にも成功しました。
4.多角化戦略
新規市場に新製品を投入していく戦略です。
すみやかに撤退することも1つの戦略です。特に、コア事業への資源集中、事業の再構築を迫られている際には、撤退は非常に重要な戦略として位置づけられています。
総合格闘技のリング(新規市場)にプロレスラーを総合格闘家(新製品)として投入したこともありましたが、似てるようで全く異なる競技への進出では結果を残すことができず、自らのブランド毀損に当たることから撤退を選択しました。
その他の新日本プロレスの成功要因として、「専門化の原則」を挙げることができます。旧来のプロレス団体の多くは、選手が経営面も担うことが多く、現場との意思疎通がしやすい反面、経営が後手に回ってしまうことも少なくありませんでした。専門化とは組織の活動が特殊化された役割に分割された状態を指し、分業化とほぼ同じ意味です。選手の管理や試合を構築する「団体」と、ビジネスの戦略を立てる「経営会社」とに役割が分かれ、専門化により業務(職務)に専念することで、各部門(担当者)は得意とする知識・能力の集中利用、反復による迅速な業務(職務)の習熟、専門化した手段と方法の使用による大きな効果が可能となったのです。
レスラーは練習と試合と情報発信に専念し、背広組と呼ばれるプロレスの興行や日々の営業を支えるスタッフがそれまでの新日本プロレスのドンブリ勘定にメスを入れ、年間の興行日程、特に大型の会場(大規模な施設)での開催については慎重に吟味するようになりました。希望的な観測ではなく、過去の実績から算出される予算をもとにより現実的な判断をするように変わったのです。
外部に発注していた携帯サイトや公式ホームページ、選手紹介映像などについても自社でやれるところは取り組みコストカットを徹底しました。昭和から続く一興行会社が、上場している親会社の指導を得て健全な組織に変わったのです。
プロレス団体の定義が、従来の「興行」を主とする物理的定義※2から、コンテンツを多角的にエンターテインメントとして提供する機能的定義※3へのシフトを経て、そこで見られる戦いは 、かつてのアントニオ猪木や長州力の時代にあった遺恨や確執をテーマにしたものではなく、明るくて華やかな格闘エンターテインメントに様変わりしています。
旧来のファン、新規ファン、プ女子、海外ファンといった世代や性別、国や文化も異なるファンがそれぞれのスタイルで楽しみ、現在のプロレス界は盛り上がっているのです。
さあ、いよいよ「G1 CLIMAX30」の開幕が近づいてきました。
今年もあなたの、そして私の夢が戦います。
あなたの夢はオカダ・カズチカか、内藤哲也か、飯伏幸太か。
私の夢は棚橋弘至です!
どこよりもプロレス記事を詳しく読むことができる東京スポーツは、ネクスタ・メイシの運営会社である東日印刷で印刷させていただいています。
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※1 競争地位の4類型
業界企業は、業界における競争地位を市場占有率に基づいて、リーダー、チャレンジャー、フォロワー、ニッチャーの4類型に分類されます。
リーダー
業界内で最大の市場占有率を誇る企業
- 新日本プロレス
チャレンジャー
リーダーに果敢に挑戦し、市場占有率の拡大を狙う企業
盟主への挑戦権・知名度と歴史あり
- 全日本プロレス
- プロレスリング・ノア
フォロワー
リーダーに挑戦せず、現状を維持し、あえて危険を冒さない企業
- ZERO1
- WRESTLE-1
ニッチャー
採算性のためにリーダーが扱わない分野もしくは気がついていない分野に資源を集中させる企業
他団体との差別化に成功・チャレンジャーを凌駕する集客力
- 大日本プロレス(デスマッチ路線)
- ドラゴンゲート(「面白さ」「格好良さ」>「強さ」)
- みちのくプロレス(地域密着型)
※2 物理的定義
「モノ」を中心にドメインを発想します。「プロレス団体が自社の事業領域を『各地でのプロレス興行』と定義する」といったことです。
物理的定義のデメリットとして、事業活動の展開範囲が狭くなり、現在の事業領域を超える発想が出にくいという点が挙げられます。
※3 機能的定義
物理的定義が「モノ」を中心に発想したのに対し、機能的定義は「コト」「顧客のニーズ」を中心に発想することを意味します。
「プロレス団体が自社の事業を『エンターテインメント』と定義する」といったことです。 機能的定義のメリットは、事業における将来の発展可能性を感じさせるという点です。
しかしその一方で、ドメインが抽象的になりすぎるとターゲットとなる顧客や事業(製品)の性格が不明確になりやすいというリスクもあります。
<レスラー名の敬称略>
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